長野地方裁判所 昭和37年(ワ)137号 判決 1965年2月16日
原告 株式会社犀川温泉
被告 国
訴訟代理人 山田二郎 外五名
主文
原告の講求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
被告は原告に対し五〇、二二五円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。
第二請求の原因
一、原告は公衆浴場並びに旅館業を営む会社であるが、長野税務署長は昭和三六年一二月二六日原告に対し、昭和三五年分および昭和三六年一月分から四月分までの源泉課税本税一一、五〇〇円、源泉徴収加算税二、五〇〇円、合計一四、〇〇〇円とする徴収決定(以下本件徴収決定という。)をなし、その旨原告に通知した。ところが原告がこれを不服として関東信越国税局協議団長野支部に苦情の申立をするや「同署長は改めて調査をし、右徴収決定を理由がないものと認めて同年一〇月一七日その全部を取消し、その旨を原告に通知した。
二、ところで原告には当初よりそのような税脱の事実はなく、右徴収決定は違法であり、本来取消されるべきものであつた。従つて、長野税務署長は右課税権を行使するに当つて、前記課税もれの事実の有無を十分調査すれば、その事実のないことが当然判明したにも拘らず、その調査を尽さずそのため右過失により前記のような違法な徴収決定をしたのである。すなわち、直接その調査に当つた長野税務署法人税課源泉係々長真田兄史および事務官松林康信(以下係官という。)は、本件課税の調査に当つては、会社の総責任者である原告会社代表者宮本半次郎(以下代表者という。)および原告の経理を担当している会計事務所事務員らから直接事実関係を聴取し、意見を聞くなどして十分調査すべきであるのに、不注意にもこれをしないまま原告に脱税がある旨を長野税務署長に報告し、同署長は真偽を十分調査することなく軽卒にも右報告を信じ、これに基づいて本
件徴収決定をしたものである。
三、そのため、原告は本件徴収決定の取消を求めるについての資料を集めるため、その取引金融機関である長野信用組合から小切手支払証明書の交付を受け、また同組合に原告の内部的事情を説明するごとを余儀なくされ、その結果、原告の同組合に対する信用はいちぢるしく毀損され(但し取引停止等信用失墜の具体的事実はない。)これにより五〇、〇〇〇円相当の損害を受けた。
更に原告は徴収決定の取消を求めるため、原告方から前記協議団事務所まで原告所有の乗用自動車(コンテツサ)に乗車しして片道三キロを少くとも三往復したが、右車の消もう率を一キロ当り一〇円とみて一八キロで一八〇円、ガソリン代四五円、合計二二五円の費用の支出を余儀なくされ、右金額に相当する損害を受けた。
四、以上の損害は国の公務員である長野税務署長が本件徴収決定をするについてした前記不法行為により、原告の蒙つた損害であるから、原告は被告に対し、国家賠償法第一条にもとづき右同額の損害賠償の支払を求める。
第三請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第四請求の原因に対する答弁ならびに被告の主張
一、請求原因のうち一、の事実は認める。二、の事実は否認する。
三、の事実は知らない。但し原告主張の取引停止等信用失墜の具体的事実がないことは認める。
二、長野税務署長には以下の理由により過失がない。
(一) 元原告会社に勤務し経理担当していた柳沢ことえは昭和三六年八月頃、原告会社の現金出納帳および元帳を持つて長野税務署を訪れ、係官に対し、「原告会社では私が昭和三五年八月にはすでに退職しているにも拘らず、帳簿上は、あたかも在職中のように処理して給料の仮空支払いの記帳をしており、このような経理が他にも二、三ある。また一般に原告の経理内容には不正の点が多い。」旨を申出たので、係官は長野税務署において右事実および原告の従業員であつた丸田悦子の退職時期等について右帳簿の検討を行ない、これにもとづいて柳沢から説明を受けた結果、原告の源泉徴収を監査するため、従業員に対する給料等の支払を含めた現金の推移を、原告備付の帳簿類の記載内容から把握する必要を認めた。そこで、係官は昭知三六年九月二五日原告会社に赴き給料支払台帳(雑記帳に記帳)、現金出納帳(ルーズリーフ式)、経費内訳台帳、元帳および入出金伝票を調査し、その調査に当り、原告会社代表者宮本に対し代表者の従業員給料立替分(後記(8) )につき、説明を求めたが、同人は挑発的で非常に乱暴な態度で応待し、原告の経理関係については風間会計事務所の先事務員に一任してあることを理由にその説明を拒絶し、右先事務員の調査立会いを求めた。係官は右事務員を立合わせ、さらに説明を求めたが、宮本は依然態度を変えず、先事務員からはその点に関し納得のいく説明は受けられなかつた。一方、柳沢ことえ、丸田悦子に対する給与支払分(後記(1) 、(2) )については右調査に先だち、柳沢から同人の名前を明らかにしないよう要望されていたので、係官は、右調査当日は、代表者宮本、先事務員に柳沢、丸田の退職時期等について、たゞすことを遠慮し、後日、本件課税処分前、先事務貫に原告会社を退職した従業員の氏名、その退職者に支払いをした給料等について明確な資料の提出を求めたが、同人からはあいまいな報告しか得られなかつた。
このような状況のもとで調査した結果、後記記帳金額が以下の理由によりいずれも代表者に支給された賞与と認定されたので、税務署長は代表者に対する昭和三五年分、昭和三六年一月分から四月分までの給与所得の源泉課税本税を一一、五〇〇円、源泉徴収加算税を二、五〇〇円合計一四、〇〇〇円と決定し徴収義務者である原告に対し前記徴収決定をしたのである。
(1) 原告から柳沢ことえに対する昭和三五年八月より同年一二月までの給料合計三一、二〇三円および昭和三六年一月より同年四月までの給料合計二四、一六八円(一月六、〇四二円)は仮装の記帳で、真実同人は昭和三五年七月三一日に原告会社を退職し同年八月一日より高木病院に勤務していた。そこでこの経理を否認し右金額は代表者に対する賞与として支払われたものと認定した。
(2) 原告から丸田悦子に対する昭和三五年七、八月分の給料合計一〇、〇〇〇円は、仮装の記帳であり、真実同人は同年五月原告会社を退職し東京方面に転居していた。そこで右金額は前同様賞与として支払われたものと認めた。
(3) 原告から代表者に対する同人の従業員給料立替分七七、七四五円および食費立替分五〇、〇〇〇円の返済は、給料支払直帳等の補助簿に記載がなく、元帳においては昭和三五年四月三〇日の事業年度未の記帳整理において代表者の期中立替分を原告から代表者に返済した旨の経理がなされ、入出金伝票においてもその旨の処理が行なわれてはいたが、何月分について何程の額を立替えたのか等の具体的内容に関する資料がなく、代表者および先事務員からも明確な説明が得られず、しかも代表者の給料が低額であることから、立替払の事実は措信できず、単なる経理上の操作と認められた。そこでこれを否認し、その金額は代表者に対する賞与と認定した
(二) 長野税務署長は、原告から本件徴収決定に対する苦情申立がなされたので、長野税務署法人税課源泉係長小林茂美を通じて、昭和三七年一〇月一二日先に前記係官が調査した前記原告備付の諸帳簿の外に、右苦情申立の段階で始めて原告から提出された小切手帳控、丸田悦子宛小切手に関する長野信用組合の証明書および一人別給与支払情況表を調査し、代表者および先事務員から説明を受けた。その結果、以下の理由が一応認められたので、強いて課税するには及ばないとの結論に達し、本件徴収決定を取消したものである。
(1) 柳沢ことえに対する給料については、経理担当者であつた同女の伝票上の筆蹟が昭和三五年七月以前のものと八月以後翌昭和三六年五月までのものとが類似していたことおよび原告の他の従業員による事情の聴取によつても、同女の正確な勤務時間は判然としないが、同女が昭和三五年八月以後も原告会社の伝票整理に当つていた事実が認められた結果、同女が昭和三五年八月以後も原告に勤務していたと認められた。
(2) 丸田悦子の給料については、同人が長野信用組合振出しの小切手を昭和三五年八月五日および同年九月五日に各五、〇〇〇円づつ受領しており、右金員が同女に対する原告の引留料として支払われていると一応推認された。
(3) 代表者の従業員給料立替分については、その金額七七、七四五円と原告が本件事業年度において右代表書の従業員食費立替分の返済のため支払つた一七四、一二二円との合計二五一、八六七円は、原告の月別の食費支給額の年問合計二五一、八六七円と符合していること、原告会社では、一般に貸席により食事を要求された場合にはその材料を代表者個人が購入したものにより賄つており、その立替分を原告から後に返済する方法がとられていたことから、従業員の食費についても同様の事実が推測された。代表者の食費立替分については、先事務員が原告の経理に当り同金額の経理科目を代表者個人所有の家屋を従業員宿舎に貸与したことによる家賃と記帳すべきところを、誤つて従業員食費と記帳したものであることが判明したので、これを妥当と認めた。
以上の次第であり、本件徴収決定が何ら調査せずして行なわれたものではなく、仮りに、右徴収決定に違法があつたとしても、被告側には何らの過失もないから、原告の本訴請求は失当である。
第五証拠関係<省略>
理由
一、請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。これらの事実によれば本件徴収決定は本来その理由がないにもかかわらずなされたものであるから特別な事情のない限り違法な処分と推認することができる。
二、そこで次に本件徴収決定をするについて、長野税務署長に過失が有つたか否かについて判断する。
(一) 証人真田兄史小林茂美の各証言、証人先春雄の証言の一部(後記措信しない部分を除く。)弁論の全趣旨を綜合すれば以下の事実を認めることができる。
昭知三六年八月頃元原告会社に勤務していた柳沢ことえが原告の現金出納帳、元帳を持つて長野税務署を訪れ、当時同署法人税課源泉所得税係長であつた真田兄史に面接し、「同女および丸田悦子は原告会社を退職しているにも拘らず原告はその後も同女らが在職中のように処理して給与の仮空支払の経理を行つている。」と述べた。この申立により右係長は同女の供述やその持参した帳簿を検討した結果、原告の経理処理について不審を抱きこれを調査する必要を認めた。そこで右真田係長は同係事務官松林康信とともに同年九月二五日原告会社の事務所に調査に赴き、原告代表者宮本に源泉所得税について調べたい旨を伝えて原告の現金出納帳、経費内訳帳「総勘定元帳等の経理関係の諸帳簿の提出を求め、これら帳簿の記載方法、内容について説明を求めた。ところが同人は原告の経理関係の帳簿の記帳については風間会計事務所に一任してあることを理由にその説明を拒絶したため、係官らは同事務所の先事務員の立会いを求め同人より帳簿の記帳方法などにつき説明を求めるほかはなかつた。そのような状況のもとで調査を進めるうち前記係官は後記金額の経理について以下の疑問を生じるに至つた。
まず、柳沢ことえの昭和三五年八月より同年一二月までの給料合計三一、二〇三円および昭和三六年一月より同年四月までの給料合計二四、一六八用、丸田悦子の昭和三五年七、八月分給料計一〇、〇〇〇円がそれぞれ原告から同女らに支払われているように記帳されているが、柳沢ことえの前記申立によれば右の時期には両人とも退職していたとのことであつた。係員らは、その事実を確めることに努めたが、原告には従業員の給料受領印のある帳簿、あるいは源泉徴収義務者として備えるべき一人別の徴収簿等の備付がなく、同女らに右給料が支払われたことを認める資料が不足している。そこで更に係官は最初の調査の後も数回先事務員を通じて退職者氏名、退職者に支払つた給料等につき具体的な資料の提出を求めたが、結局納得のいく資料は得られなかつた。従つて、係官は柳沢ことえの申立が一応信用出来ると認めた。
次に、昭知三五年四月三〇日の原告事業年度末の帳簿に、一括して七七、七四五円が代表者の従業員給料立替分として又五〇、〇〇〇円が従業員食費立替分として代表者に支払わたように記帳されていたが、何月分について何程の立替をしたのか等の立替の事実を証明すべき具体的な資料が無かつた。係官は代表者および先事務員に対し、この点について説明を求めるなどして調査したが、結局前記(一)と同様、はつきりした説明はえられなかつた。そこで係官は以上の理由からそれぞれ右の金額は代表者に支払われたものと認定した。長野税務署長は右係官の調査結果に基き、前記(1) 、(2) (3) の各金額は、真実は代表者宮本に対し原告会社から支払われた賞与であると認定し、前記のとおり徴収決定をした。
以上の事実が認められるのであつて、この認定に反する証人先春雄、原告代表者本人尋問の結果は前掲各証拠に照らし措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(二) ところで、本件徴収決定が後日取消されたことは当事者間に争いがない。そこで、その経過についてみると、証人小林茂美先春雄の各証言、原告代表者本人尋問の結果によれば以下の事実が認められる。
原告の苦情申立後に、原告からは、柳沢ことえの領収証、丸田悦子宛小切手の長野信用組合の証明書および一人別給料支払状況表などの新しい資料が提出され、また代表者の説明等もあつて、これらの新資料をも加えて再調査した結果、柳沢ことえの給料支払分については同女に一応支払われていることが認められ、丸田悦子の給料支払分については、退職後、同女の引留料として同女に支払われていたことが一応認められ、更に代表者の従業員給料立替分については、原告においては従業員の食費会社負担の建前から原告の給与体系も現金支給の部分と現物給与に当る食費とに二分されていたことから代表者個人が従業員食費を立替えていたという申立を一応認め、食費立替分については、先事務員が原告の経理にあたり同金額の経理科目は、代表者個人所有の家屋を従業員宿舎として原告に貸与したことにより家賃と記載すべきところを、誤つて従業員食費と記帳したために生じた誤解であることが判明した。これらの理由から長野税務署長は強いて前記課税処分を維持する必要はなく本件徴収決定を取消すのが妥当であると判断し、その取消決定をした。
以上の事実が認められるのであつて、この事実に前記徴収決定に至るまでの事実を総合してみると、そもそも本件の発端は、原告会社代表者宮本が、その従業員の監督および帳簿等経理関係書類の管理に欠くるところがあつた点にあり、その調査に当つても、同人の積極的協力が得られず、前記金額の支払い状況について原告の帳簿上の記載が不完全であり、しかも、経理関係を担当していた事務員が原告の経理関係を十分把握していなかつたため、前記のような原告の帳簿記帳を妥当とする十分な説明も資料の裏付も得られなかつた事情が明らかであり、このような状況のもとでは係官が前記認定の如き判断をしてこれを上司に報告し、長野税務署長がその調査結果を信頼して本件徴収決定をなくしたことは誠に止むを得ない処置というべく、同署長としては右決定の段階においては一応尽すべき調査を行つていたものと認めることができる。従つて右決定が事後において違法であると判明したとしても、これをもつて同署長にその決定をなすにつき過失があつたと断ずることはできない。
三、 従つて以上長野税務署長には本件徴収決定をなすにつき何らの過失は認められないから、原告が右決定によりその主張のような損害を受けたとしても、国はこれを賠償する義務はなく、被告に対しその損害の賠償を求める原告の本訴請求はその余の判断をするまでもなく失当である。
そこで、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 田中隆 千種秀夫 福永政彦)